ダブリン市民(猫)

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記述するということ

 

自分の理解だとか、確信に近いような感覚、それらを本当の意味で分かったとしたいなら、他者から何かしらで知覚される状態にしなきゃならん。そうでなければ、例えばある文言を読んだとき、それが今までの自分が分かって生きてきたのかといったことは、他者に伝わらないどころか自身でも判別しにくいことがある。

ただ、実際、そんな作業が今の僕にとって必要なのかどうか分からない。分からないが、少なくとも社会生活をしていく上では、人に自分を理解してもらうことはとてつもない重要事項だとかんがえる。訓練はしておいたほうがいい。表現はできなければならない。

ぱっと思いつくのは、

書く(内容に重きを置く)

話す

芸術昇華

ここは、もっぱら書くところですね。芸術をやってるつもりはない。そう、小説やエッセイを書いてるんじゃない。普遍的になるだけ近い、表現方法の形式、文章を書く。

記述するということを、内的なことだと勘違いしていたのかもしれない。もちろん、筆記試験では人に見せるようのものを書いたけど、日記や手帳に書いていたものはなんとなく精神の安定を目的にしていたように思える。この場でできることは、仕事じゃなく趣味として書いてることは・・・

「書く」ときには、その内容が客観視されることを重視しておかなければならないことが、やっと、やっと骨身に染みた昨日と今日。駄文をかきますよー、感傷的な気分で頭使わんとキーボートに向かうよー、のノリは非建設的で無価値なエネルギー消費。そんなんなら、ブログも日記もやめてしまいなさい。

書くという表現方法、これを使って自身の成長を図りましょう。

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