ダブリン市民(猫)

友達や仲間がほしいらしい(追 関係性)

 もし新たな友達・仲間ができたとき、今のままの自分じゃ不安だ。オレは、彼の所有するものに基準を求めないが、彼に対するうえで自分に自信が持てない場合、とても悲しくなり、情けない、ふがいないと感じる、と思う。

 友達や仲間を作る前段階としては、確固たる自分を築いている、築いていく過程であることが大切なんだぜ。それが頑張る意味なんじゃないの、オレにとっては!

 昔はなんであんな生活を送れてたんだろう。目標がそれだけ大きな意義をもってたってことか?じゃあ、今は(当時以外は)目標を失っているだけなんだな。そんで、その目標は、「突然の出会いに向けて」ってことになるのか。オレの希望って、その辺にあるのかな、オレの世界観における神秘ってのは、そこに存在するのかな。

 邂逅に備えろ、か。そういえば、オレの妄想とか気に病むところとかは大体それ周りの思索だったと考えたら、つじつまが合うかもしれない。ウン、これからはそれを意識してみよう。妄想も思考も、そこを礎にしてみよう。これから悶えることが多くなるんだろうな。何やっても煩悶とするんだろうなぁ、だってご縁があることを願って生きていくってことだもんね。

 詩とか音楽とか物語とか芸術の構造とか視覚の快感()に惹かれっちゃうオレの人生ってのは、こうやって生まれちゃう。

  

モンテーニュ『賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。』

 

 追記

 関係性が欲しいらしい、ずっとオレは関係性を求めていたらしい、それも、高級な、納得のいく、良いものが欲しかったみたいだ。高2の夏休み明けに感じた強烈な感情は、このことが誘因であったのだとわかる。それはすなわち、周りとの関係性の拒絶、異なる関係性の志向であった。

 今の状況から、かつて志向した関係性は作れるのか? 

 当時と現在で取り返せない損失はなんだ?それは、学歴である。その一点のみである。学力はこれからでも備えることが可能だ、人間性や価値観や・・・そのほかのもので、取り戻せないものはない。彼に先を越されたものもあるが、僕が先を越している者もある。ただ一つ、学歴だけが不可逆的損失で、その点をカバーできれば、わが人生に一片の悔いはない。

 現状の損失を認識し、新たな不可逆的損失を生み出さないことがなによりも建設的な人生設計である。

 学歴による(青春時代における)損失を取り戻すにはどうすればいいのか。多分、東大に行った彼にはできないこと、しようとすら思わないことでかつ、してないことが人生の損失であると僕が言ってしまえるものを、することだと思う。今思いつくのはそれだけ。要するに、彼と差別化するために、僕は何かをしなきゃならない。その何かは、絶対に彼の存在ありきで考えていかねば意味がないということも判っている。その筆頭が、絵、音楽などの芸術方面なんだろう。彼はわざわざ絵を始めたり、ブログを書いて・・・まあ、色々と手段を持とうとはしないんじゃないかな。だって彼の周りの現実は、常人よりも恵まれていて、具体的には関係性をきっちり結べる人が周囲に多くいるから、わざわざ手段を生み出そうとする必要性が、彼の中に起こらないと思っている。

 人の本質は「関係」にあり、僕の本質は彼(ら)との関係の中に存在するのではないか。僕の人生の根底には、彼(ら)との関係が流れていて、僕の欲求はそれの拡大化、演繹の方向、延長線上といったようなものにある、と考えるのはどうだろう。

 

関係性を志向する欲求(が、僕の真の望みだと仮定)→日々精進してみてはいかがでしょうか

現状で関係性を志向することへの不安→彼との差別化(畢竟、学歴の損失を取り戻す)

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