ダブリン市民(猫)

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己の人生の態度を考えなさい。まずは、美醜に対する態度・・・

 美しいもの・きれいなものの裏には、醜いもの・汚いものが潜む。文明の発展は、同時に野蛮を生み出している。

 この両面性の事実を知った人間は、輝かしい技術の最先端を見たときに、そのために見放された土地が地球上に生まれたことを感じなければならないのか。そんなことはない、輝くものに対しては、恍惚とした表情を向ければいいだけだ。人間の残酷性、そして残酷なものは美しいと言われるのは、こういう事実を婉曲に言い表した表現なのだろう。

 では、僕の態度はどうあるべきか。僕はきれいなものに最大の称賛を送り、汚いものには最高の非難を浴びせればいいのか。

 ワイルドに憧れて、グレイのような生き方をしたいと思ったものだ。あれはかっこいい、一つの完成された行動様式であると確実に言える。ただ、これからの時代、どうなんだろう。あの冷たい視線は、許されるのだろうか。いや、そもそも、人より多くの事実・真理を知ってしまっている以上、現象に対して冷たい眼を向けてしまうことからは免れない。オレの眼は、確実に冷たい・・・。グレイは醜いものを排除した。美しいものを求めるのは、人間の習性であって、彼の態度の一貫性は、常に醜悪の排除であった。醜悪は、排除する以外にどうするというのか、啓蒙か、革命か、己の流浪か。

 ウン、負の感情を引き起こすものは、排除することにしよう、それよりも、何が己に負の感情を引き起こすのかを分析することの方が重要だ、正しい醜さ・汚さを、正しい手段で排除しなければならない。問題はむしろ、排除すべき対象を誤らないこと、すべきものに行使し、すべきでないものを見送るだけの知性を備えること。つまり、己の価値観をより純度の高いものへ変質させてゆくこと。

 最先端の技術は、たいてい醜いと思う、そして、自然と調和する人間は美しいと思う、適切に対処すること、判断すること、すなわち、それらに必要な知を蓄えることが己の人生の態度である、ということでよろしいか。

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